外車ちゃん

昔書いたやつもあるよ!

私は地図が読めない

新宿で道に迷った。

新宿は生活圏内にないものの東京に10年以上住んでいるわけだから新宿には数えきれないくらい行ったことがある。

地図は苦手だけれど目的地近くの電器店は何度も行ったことがあり、これならすぐに分かるだろうと思ったのが甘かった。自分の思うあるべき場所に目的地がないと、とたんに頭が混乱してしまう。ひとたび道に迷ったと認識すると何度地図を見返しても、GPSを使っても混乱が増すばかりなのだ。

 

そういうわけだから私は道に迷った時、通行人もしくは交番の警官に聞くことにしている。原始的な方法が近道だったりする、21世紀でも。

しかし、その日の目的地は通行人に聞きづらい場所だった。このまま諦めて帰るか、見つかるまで頑張るか。LINEで友だちに心配されながら(新宿とはいえ迷うような複雑な場所ではなかったのできっとびっくりされただろう)、途方に暮れていたら、見つかった。もう諦めようとした瞬間に道が開ける、それも私の人生ではよくあることである。

 

地図が読めなくても、以前はあまり問題がなかった。自分は地図が不得手だということにすら気づいていなかった。

新宿も渋谷も銀座も六本木も横浜も、あらゆる街をいつも誰かと歩いていた。それは方向感覚の優れた人であったり、この人となら道に迷っても大丈夫だと思えるような人だった。

 

若く美しかった頃には、一人で街を歩くのが怖くてたまらなかった。自分に自信がなく、他人の視線にいたたまれなくなった。

 

若さの基準が相対的になってしまった今になって、一人で街を歩くことが当たり前になっている。好むと好まざるとに関わらず、そうせざるを得なくなっただけなのだけれど、時には他人の視線が心地よい日もあるのが不思議だ。

 

それでも、新宿の比較的分かりやすい場所で道に迷ってしまったことでまた誰かと歩くのが当たり前の暮らしに戻りたいと心の底から思って、涙が出そうになったけれど、風が強くてすぐに乾いてしまった。

 

 


昨年、丸の内で「君は歩くのが速すぎるよ、もっと落ち着いて行こう、息があがっているじゃないか」と、私より15センチメートルも背の高い男性にたしなめられたことを思い出した。「いつも独りだからよ」とかっこつけたことも。

 

彼とはその後ジュエリーショップで喧嘩をし、いわゆる痴情のもつれ、というやつで二度と会いたくなくなってしまったけれど、彼とうまくやれるような女性であったら良かったのだろうか、と近ごろ思うようになった。